2019年11月09日

現状分析_1

そういえばちょっと前に
ボードゲームしてるグループに
混ざりたいけど横で眺めてるだけ
っていう微妙に嫌な夢見たことあったっけなぁ

基本的に寂しがり屋なんですよ





以下殴り書きなので
ですます調とである調とか
漢字ひらがなとか混在して読みづらいですが
大目に見てくだされ。


i)

色々あって心理士の先生にカウンセリングしてもらって
自分の中でも大小込みあってる問題を
解決は全くできてないけど
複雑化させてる一番の問題(の一つ)をとりあえず認識。

寂しいんですね。私は。

大学のサークル時代みたく
同じ趣味で活動したり
集まってダラダラとゲームしたりするような
そういう「居場所」が欲しい。


情けないけど正直に言うと
ツイッターで一番欲してたのがたぶんこれで

だからこう、
みんなでチャットしながら通信スマブラしてたり
オフ会で飲みに行ってたり
そういうのに特に嫉妬していたんでしょうね。


……いや、もっと早く気づけワタシ。


ii)

寂しいのが原因ならどうしよう。

解決策がまず方向性として2つ。
欲望を満たすか、
欲望を断ち切るか。

満たす方向なら
リアルでそういうサークルに参加するか
ネットでそういうコミュニティを積極的に探すか。

断ち切る方向なら
SNSなどを完断ちして諦めざるを得なくするか
続けながら我慢していく方向で模索するか。


iii)

まず満たす方向だけど
とりあえずリアルでそういうのは無い
田舎だから(°▽°)

もちろん都会まで出ればあるだろうけど
定期的にサークル参加するとなると
往復8500円はさすがに参加費としては酔狂すぎる。

一方、諦める方向で
SNS完断ちは、上の前提と合わさると
一切の拠り所を無くしリアルぼっちということに
これで仙人の如く悟りをひらければいいのだろうけど
……無理です。はい。

つまり、満たすか、我慢するか、の2択なわけで。
現実問題はその折衷というか、
いい塩梅を模索していかなきゃいけないと思いますが。


iv)

欲を満たす方向で考えますと。

ツイッターである程度趣味の合う人が集まれば
自然といつも話す仲良しグループみたいのが
出来上がる。

私は本当はそういうのに憧れているんでしょう。
けれど私はそこには所属できない

魅力なしですから(°▽°)

「欲を満たしたい」という気持ちが強いと
その人たちが仲良くしてるのを見て
「あ、ワタシはもう仲間じゃないんだな」と拗ねて
精神的に所属できなくなる。
そして居場所を無くした(と思い込む)孤独と
そんな恥ずかしい拗ね方してる自分への嫌悪で自爆する。

それが今。

……なんかSNSアンチ勢の格好のサンプルに使われそうですが
正直これリアルでも変わりません。
サークル時代も、その中で小グループができて、
遊んでた話を聞いて混ざりたいなーと思っても
何となく気が引けて入れなくなる。
これは珍しいことじゃなかったですから。
ウチは偶然、いろんな人に声かける人が近所にいて
時々巻き込まれてたからやっていけてたけど。


仮に運よくグループに所属できたとしても、
グループが大きくなると
その中にまた小グループができて、というのが
常になる。

それからはじかれないようにしなければいけないという
立場的にも求められる振る舞い的にも
色々な意味で危険な状態になる。

から、この方法はちょっとやめといたほうがいいかな、
と思う。

というか……なんかやだ。(

以上をまとめると、
そういう方向で寂しさを満たしていくというのは
現状無理と思われる。

というか、過去何度もこの
「ツイッターで強い結びつきを作る」
方法に失敗して苦しんでる。いい加減学ぼう。



v)

ならツイッター辞めてはいおしまい、
でいいかといえば上で述べた通り。

寂しさを抱えたまま一切の策を講じず
水に放り込めば泳ぎ覚える理論で
今人と関われる唯一の手段のツイッターを断つ
ということで心安らかになれると思うほど
私は楽観主義も根性主義も信用してない。

どう考えても孤独に耐えられなくなって壊れます


vi)

つまり、
ツイッターで繋がりを持ち
寂しさを紛らわせつつ、

誰にとっても重要ではない、という
その立場を受け入れなければならない。


とても悲しい立ち位置だとは思うけれど
逆に言えば
周りに依存しない立ち位置を確立するわけだから
ある意味ではとても強いと思う。

……では、
どうしたらその強い人間になれるのか、
というのが次の議題になるわけですね。


vii)

私のない頭で考えて浮かぶのが

まず何らかの心の支えをもつこと

無論、人以外で。だってそうしちゃうと
周りに依存しないように誰かに依存する
って本末転倒なことに。
「x + y = a に x = a - yを代入する」
みたいな現象になっちゃいます。堂々巡りです。
てかそれができないからこうして考えてるんです←

次に、「楽しさを見守る楽しさ」を理解すること
というか考えてみれば最重要項目です。
もうワタシも若くない、その立場を考えると
若者のようにいつまでもはしゃいでいることはできない。
創作や同人活動での若々しさは持つべきだが
大人の立ち振る舞いも身に着けるべきではないでしょうか。

理想はごちうさのタカヒロさんか。
……いや、あんなダンディーはさすがに無理だ
ティッピーくらいお茶目さんの方がいいや←


……弱い私にできるかどうか。
正直、まだ未練はある。
しかし手に入らない現実に拗ねるよりは
それを受け入れ順応すべきではないだろうか……
結局は我慢するということですが。


「そういう人間になりたい」という意思で
どこまでいけるかどうか。
あるていどの一人慣れも必要かもしれません


viii)

そして、これができるなら皮肉なことに
既にツイッターに頼る必要はないということでもある。

逆に言うと
ツイッターに居場所あるいは
そこまででなくとも何かしらの意味を求める時点で
危険
なのかもしれない。

ツイッター無くても生きられる状態で、
プラスアルファの楽しさをツイッターに求める、
そのぐらいでなければいけないのかもしれない。

無意識的なツイッター依存。
SNSアンチ勢の言い分もあながち間違いではないか。
でもまぁ、それこそツイッターから
うまく交友関係広げられた人もいるんだから
ケースバイケースと思いますけどね。

……仮に確立できたとしても
情報の収集と発信に使いますけどね、ツイッター。


ix)

さてここまで性格面から掘り下げていくと
創作面の価値云々は全く別の話にできる。

というか、今みたいな寂しさ持ってたら
絵を描いたとき
「もっと見て、注目して」
って思ってしまうのは自然で。
見られなくて悲しくなるのも自然で。
絵で繋がりを作っている人たちに嫉妬するのも自然で……。

情けないことに
評価を繋がりのバロメータとみなして
評価を求めてた、
100%ではないにしろそういうことを考えてたのは
否定できないのですよね。

逆に言えば
強いつながりを諦めることができるのなら
評価とつながりを混合することはなくせる……

これも0にはできないと思いますが

評価と繋がりは別、
そういう根拠をはっきりさせて
その根拠の下で活動していけば
真心なのか下心なのか自分を信用できない
ということはなくなる
のではないでしょうか。


x)

一旦ここまでまとめると
自己分析(確定に近い情報)は
・寂しさが募ってツイッターにそれを求めている
・それができなくて拗ねて嫉妬している
・そんな自分が恥ずかしくて自己嫌悪している
・その感情が創作の方にも波及している


それへの対処(ここから間違う危険が高い)は
・つながりを求めに行くのは無理/危険
・他人とのかかわり自体を断つというのも無謀
・浅いつながりで満足できるように変えていこう
・未練はあるけどね(
・人付き合いに依らない自分の心の支えを見つけよう
・楽しい空気を見守る楽しさを覚えよう
・寂しさを解決できれば創作の方はもう少し
 楽しめるかもしれない。……かもしれない。





長くなったので一旦切ります。


posted by くろっしゅ at 14:28| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする
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